聖マルタは新約聖書に登場する人物です。

3人姉弟の一番上ですぐ下がマリア、その下の弟がラザロ。

イエスが彼女たちの家に滞在したとき、家事接待にと自分ひとりが忙殺されているのに、マリアはイエスの足元に座り込んで話に聞き入って何もしない。

 マルタはイエスに「主よ、私の妹にもっと手伝いをするように言ってください。」と懇願します。けれどイエスはこういうのです。 「マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。しかしなくてはならないものは多くはない。いや、ひとつだけである。マリアはそのよい方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。」  

 なんだかとても不公平な言い方に聞こえますよね。おそらくこのエピソードは、実生活の切り盛り才覚よりも信仰心のほうが、実は「神」の意思に適っていることをいっているように思います。弟のラザロにいたっては病で一度絶命し、墓に葬られていたのを、イエスの手で蘇生させられるのです。(ヨハネによる福音書)  

 この3姉弟は、生前親しかったイエスの死後、伝承ではフランス南部に布教のため移りすんだと伝えられています。マルタ(英語読みではマーサ)の手による、奇跡のような 化け物退治(調伏)のエピソードが今も語り継がれているのは、この南仏・タラスコンの街にです。

 タラスク(Tarasque、タラスクスとも称)はこの町に伝わる伝説上の怪物[3][4]で、ジェノヴァ大司教にして中世イタリアの年代記作者であるヤコブス・デ・ウォラギネが著した聖者・殉教者列伝『黄金伝説 (legenda aurea)』に紹介されている[5]。

  それによれば、当時タラスクはローヌ川付近の森に棲息していたという。 かつての棲み処は遠くオリエントのシリアにあったとし、海の巨怪レヴィアタンと牛様の怪物ボナコンとの間に生まれたものとする(ただし、考古学的・民俗学的知見から導き出されるタラスクの雛形[ひながた]と呼ぶべき存在は、古よりブーシュ=デュ=ローヌ地方に土着の謎多き人喰いの怪物[★上の画像を参照]である

  時は西暦48年[要出典]、キリスト教布教のためにサント=マリー=ド=ラ=メールからやってきた聖マルタ (fr: Sainte Marthe) は、当地にあるネルルク(「黒い森」の意)村を訪れた際、怖ろしい怪物タラスクの話を聞き、これを鎮めるべく森に入った。

 そこで怪物と対峙した聖女はしかし、臆することなく一心に祈りを唱え、聖水を振りかけることでこれを抑え込むことに成功する。 そうして、鎖に繋がれて飼い犬のように聖女の下(もと)にひれ伏した怪物[9][4]を、しかし、長らく苦しめられ続け、家族を喰われてきた村人たちは許すことなく、石礫(いしつぶて)でもって打ち殺した。

  タラスクの伝説は、中世以降、物語や絵画の題材になってきた[要出典]。 今日、タラスコンでは毎年6月の最終土曜日に「タラスクの祭り」が開催されている。15世紀頃から始まったとされるこの祭りでは、タラスクを模した張り子が、タラスケルと呼ばれる若者達に曳かれて会場を進んでいく下の画像](以上、ウィキペディア~タラスコンより引用) 1991年、フランス南西部はピレネー山麓の町エスペラザ(en)にて化石が発見された肉食恐竜に、この伝説の怪物に因んだ「タラスコサウルス」という学名が付けられた  

 

 西暦48年とはいまからおよそ2000年前ですから、まだ獰猛な肉食獣が跋扈していたのかもしれませんね。ネット上で「三毛別羆事件の証拠画像」という触れ込みで流布されている巨大熊と思しき害獣の写真を見るとその大きさに言葉を失います。

(三毛別羆事件とは100年前に北海道であった、日本国内最悪の被害を出した獣害事件)

ただしこの画像自体は日本とは別の外国で20世紀半ばまでに撮られたもの?で

北海道の事件とは別ものと自分は考えています。それでもとてつもない大きさです。

 

 

銃火器のない時代に、祈りの力でこういうのを調伏させたとすれば、

それこそ「奇跡の人」という存在になるでしょうね。  

聖マルタは聖人信仰の中では家庭愛・家族愛の慈愛シンボル的な

存在であると同時に、 ドラゴン(怪物)を調伏させた悪魔退治に近い

信仰心の拠り所になっていることも多いようです。