メアリー・セレスト号。

みなさんも一度はどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか ?

オカルトの領域では、結構有名な事件でした。

 

  自分が子供のころ、「世界の7不思議」や「怪奇事件」などのシリーズ本がたくさん刊行されていて、その中の定番記事だった逸話です。大西洋上を無人の大型帆船が漂流していたところを、たまたま知人が船長をしていた船に発見された。水も、食料も、備品はもちろん、積荷も一部破損があったもののほぼ手付かずの状態。なのに、乗っているはずの人間だけが忽然と消えた状態だったことが、人々の関心を限りなくかきたてたようです。

メアリー・セレスト号は大量の工業用アルコールを積み、イタリア・ジェノヴァに向けてニューヨークを11月7日に出航。発見されたのは1872年12月4日(5日説も)。ポルトガル沖の大西洋上での出来事です。位置から推測するに大西洋を東進する港路上にあったのではとされているようです。これとほぼ同じ時期に日本で何があったか?それは官営・富岡製糸場の開業です。(1868年の明治維新から5年後です。)

 私はメアリー・セレスト号が運搬した大量の工業用アルコールは、ジェノヴァを積出港にしたミラノ周辺の工業地帯が動力目的で買い付けていたのではないかと推測します。イタリアが王国として統一されたのは1860年。国家整備事業のあれやこれやにのどから手が出るほどオカネがほしかったでしょう。そこで目をつけられたのが「製糸」だったようです。

 当時のイタリアは世界第一の「生糸」輸出国でした。手っ取り早く外貨を稼ぐのに「絹」ほど儲かった売り物はその時期なかったでしょう。(絹の模造品として合成繊維が登場するのはそれから20年先のことです。)日本もそれを追いかけます。かくて日本の風土・生活習慣などを抱合する形で搾取に搾取を重ね、明治40年代には生糸輸出世界1位に輝き、その背後には「ああ野麦峠」のような女工哀史・無数の悲話がうずたかく積み上げられ、残されています。

 セレスト号が遺棄された理由はいまもはっきりとはわかりませんが、船主などは早い段階で積荷のアルコールが気化爆発を起こし、緊急退避の危険を感じた船長によって乗組員たち全員が救命ボートで脱出したのではないか、という見方をしています。この事件は膨大な海難裁判記録が残っており、オカルト雑誌などによくあるUFOにさらわれたとか、海賊に皆殺しにされたとか、意味不明の「謎」はその時点で否定されています。セレスト号は帆船で、まだその当時はアルコールなどの気化物質を蒸気船動力で運ぶには危険が大きく、白羽の矢が立ったのはそのためだったのでしょう。

 いまではそのようなエネルギー利用はなくなり、船が遺棄されるような事件は起こっていないと思われます。だからこそ、この事件は産業革命が生んだ功罪とそこでの国家利益競争の渦中で生じた、不幸だったと思わずにいられません。

 日本は明治期ほどには生糸を輸出していません。でもプルトニウムを海上輸送でアメリカに輸出しているのです。