「ジェリコの戦い」という歌をご存知でしょうか?

黒人霊歌の仲でもポピュラーな、そして人気のある歌のひとつです。原題は『 Joshua Fit De Battle Ob Jericho』 旧約聖書の中に登場するヘブライ民族とその約束の地にすでに先住していたイェリコ民との攻防を背景に、指導者ヨシュアを称える勝利の賛歌というべき、内容になっています。ヨシュアはエジプトからヘブライ民族を引き連れて神との約束の「乳と蜜の流れる地・カナァン」を目指した偉大なる指導者モーゼの、すぐあとの後継者です。

 イェリコ(英語読みではジェリコ)についての詳しい歴史・所在地については↓のサイトをご覧ください。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B3

  聖書の記述によるとイェリコは当時堅牢な城壁をめぐらせた難攻不落の砦として描かれています。その砦を陥落させるのに用いた手段が、角笛のラッパを吹きながら城壁の周りを六日間回り続け、七日目には七回も其れが繰り返され、最後にラッパの音を大音響で奏でた後たある限りの歓声をはりあげた。その瞬間、イェリコの城壁が跡形もなく崩れ落ち、ヘブライ人はそこを占領することができた、と伝えられています。この戦術はヨシュアの、エホバ神への真摯な祈りに答え、天使が授けたものなのだそうです。

 考古学者のこれまでの発掘経緯から、必ずしもヨシュアと思しき時代と城壁崩落の地層は歴史的には合致性がないとされています。学者の中には崩落は近隣に地震があったからでは?という説を唱える例もあります。同じく聖書の『背徳の都市』ソドム・ゴモラの滅亡にいたる過程にについて、そのような見解をしている学者もあるそうです。信仰心の有無や人間の堕落とは本来無関係の、天変地異のもたらした災害による繁栄の終焉、という見方もできるのではないでしょうか?

 16世紀以降アフリカの黒人たちは奴隷貿易の悪しき慣例にのっとって、続々とアメリカ大陸に連れてこられました。その辛い境遇を耐え忍び、救済を切に願う信心はキリスト教と混在する形で聖書伝承の英雄と一体化し、後の黒人霊歌へと発展していったと思われます。「行け モーゼ」「深い河」もヘブライの歴史に深く根ざした歌になっています。(「深い河」とはヨルダン川のことで、イェリコも死海の少し北側に位置しています。)

 古来、文字と謡には願望達成実現の魔力が潜むと、世界各地で信じられてきました。祈願の祭りでシンボルの字や図表が掲げられたり、祈りの言葉が高らかに謡われたりしたのは、神(創造主・世界の摂理)と直接つながり、状況の変化を願う儀式だったのだと自分は思います。黒人霊歌の唄の本流に、そういう光と影を感じることができます。